8年間空き家だった実家を相続【第一話】

8年間、空き家だった実家を相続 父が他界した後、しばらく母は独り実家(一軒家)で暮らしていた。独り暮らしになった当初は、母は近所に住む叔母達(姉と妹)と出かけたりしながら過ごしていた。しかし、 1年くらい経ったころ、少しおかしな言動をするようになったので、東京の病院で検査したところ認知症であることが判明した。母はその後も一年くらいは実家で一人暮らしをしていたが、「知らない人がいる」など幻覚症状が出たりで交番に何度か連絡したりで周りに迷惑がかけ始め、火の元などセキュリティ面でも一人暮らしは限界と判断して嫌がる母を説得して東京へ来てもらった。

お母さん

筆者はマンション暮らしであったが母はスムーズに東京での生活を始めれるように、実家と似た大きさ、間取りの一軒家を借り、実家の家具も一式移動して実家のイメージを再現して同居を始めた。しかし、同居後、半年もしないうちに母は芦屋の実家に戻りたいと懇願するようになりそれと同時に認知症の症状も激しくなっていった。結果的には2年後には、横浜の認知症専門グループホーム(病院併設の施設)に入所した。

関西から東京に住まいを変え、のんびりした一人暮らしから息子家族との同居の息苦しさもあってか被害妄想が出始め認知症が一段と進んだ。さらの、東京の息子家族との同居生活から横浜の施設に移動したことで関西文化の強い母が東京文化に溶け込めないこともあり、精神的にも不安定になり認知症がさらに進んだ。いわゆるリロケーションダメージというものらしい。

認知症は1日に何度か失見当識な状況になり異常な言動が起こるが、通常は健常者と変わらず物事を考え言動できる。そういう状況で、毎週末に施設を訪問し、母と一緒に食事を取ったり会話をしたりしていた。 母は訪問するたびに、「毎週、忙しいのにわざわざお見舞いにきてくれてありがとうね。(本人は血圧も高く病気で入院していると思っていた)私も病気を早く治して、芦屋のお家にもどりたいと思います。退院した時は一緒に連れて帰ってね」といつもと同じ明るい笑顔で話してくれた。

その後、7年間、毎週末、母の施設を訪問したが、毎回「芦屋に戻りたい。連れて帰ってね」と言われた。という状況もあり、実家は8年間という年月を「空き家」となった。

認知症は改善することもなく、芦屋に戻って生活を再開することは不可能であることは周りは理解していた。しかし、家の所有者である母が戻りたいと願う以上、売却することも賃貸することもできなかった。年に2〜3度は植木屋さんに庭木や生垣の剪定もしてもらってはいました。また、年に2〜3度は東京から訪問して風の入れ替えなども行っていたが、時間とともに、荒れていく実家。ご近所も面識があり心配もされていた。 空き家というのは、防犯面や漏電、火災面、植物の病気の感染などいろんな意味で周囲にリスクを与えているのも事実である。固定資産税も払い、火災保険なども継続していた。 たまたま、近隣の方が駐車場を使用していただけるという防犯面でもありがたい申し入れがあり、日常的に出入りしていただいたのは幸運でした。勿論、使用料は頂かず、当方が実家を売却処分する際には明け渡していただけるように一筆交わしていました。

そんな状況で8年間続いて実家の空き家も、昨年早々に母が逝去し、筆者と妹が相続することになりました。

相続と不動産売却

空き家状態を何年も継続することは所有者として管理責任を問われても仕方ないなぁ、近隣の方に迷惑や心配をかけて申し訳ないなぁと8年間、後ろめたい気持ちで一杯でした。 賃貸にするにせよ、売却するにせよ、成年後見人の申請をしなければ出来ないことだし、一方で、母はいつか自分の家に戻りたいという希望もあり、賃貸に出すという選択肢をとることも出来ませんでした。

母の49日も終わったころ、相続人である筆者と妹と話し合い、売却することで一致し、相続の具体的な手続きに入ることになりました。ということで、相続に伴う名義変更を初めてとする様々な相続手続きが始まりました。

詳細は第2話にて